こんにちは。児童デイサービスtokotokoです。
今年も残り90日を切りましたね!昨日の台風の影響で被害に合われた方、一日も早い復旧を願っております!
本日は「大切なことを当たり前のようにやっている」ことについて話したいと思います。
そこで「有り難い」「当たり前」この2つの言葉を調べてみました。
このブログの筆者である私は「有り難い」を有ることが難しいことということと普段の「ありがとう」の感謝の気持ちを表す言葉だと思っておりましたが、もっとたくさんの意味があるということがわかりました。
「当たり前」とは 1、誰が考えてもそうであるべきであること。当然のこと。また、その様。2、普通と変わっていないこと。世間並み。
「有り難い」とは 1、(人の好意や協力に対して)感謝にたえない。かたじけない。2、自分にとって好都合な状態で嬉しい。3,自然に伏し拝みたくなるような様である。尊い。4,ありそうにない。ほとんど例がない。めったにない。珍しい。5,生きていることが難しい。暮らしにくい。6,めったにないほど優れている。*原義は有ることが難しいの意で、「あり」を存在の意で用いると4、生存の意で用いると5の意となる。めったにない意から6の意が生じ、中世以降は3の意でも用いられた。近世に入ると、その行為などをもったいないと感謝することから1や2の意で多用されるようになった。
*大辞林 第三版より引用*
このブログでの有り難いの意味は下記の1と6と考えております。
「有り難い」と「当たり前」は矛盾しているなと思えますが、言葉の意味を読むととても可笑しく面白いと感じました。
現在、児童デイでは4~18歳のお子さんが通所されています。発達障害、知的障害、大まかに分けると、主にこの2つの障害種別のお子さんが通われています。
自閉症、ダウン症、染色体異常、肢体不自由、、、一般的に障害名を知られているお子さんもいらっしゃいますし、珍しい障害のお子さんもいらっしゃいます。
個別でもグループ活動していても障害種別、年齢、言語理解力、性格などバラバラです。
ですが、そんなお子さんたちに共通点があります。
それは素晴らしい親御さんです。
tokotokoに通うお子さんたちは薬を飲む、写真を撮られる、などを嫌がらないお子さんたちです。
特に薬を飲むことを嫌がらないとはどういうことなのか?それは普段から必要なこととして薬を飲むことが習慣化しているということです。それは親御さんがお子さんの体調に気を配り、少しでもおかしいと感じたら病院に連れて行くということが出来ているということなんです。
お子さんの体調に気を配るというのは、どのようなことか?
子どもたちは自分の体の異変を言葉にして伝えることが出来ない。痛い所がある、顔が赤い、熱がある、なんだか元気がない、など、、、。発達障害のお子さんはそれだけではありません。ぱっと見、普段と変わりないように見えても「何か変」と感じて病院へ連れて行く事があります。そこで「変わりなく見えること」を「異変」として感じて病院へ連れて行くことが出来るのは親御さんの観察眼によるものです。矛盾しているように思える言語化するのが難しい部分をやってしまうのが親御さんたちです。
この時点で病院へ連れて行くことにより、重症化を防いだ、病気が見つかったなどが出来ます。
それを「当たり前」としてできるのは素晴らしいですし本当に頭の下がる思いです。
親御さんはお子さんを育てていく上で「有り難いこと」を「当たり前」に出来るとても美しく強い方々であると思います。
毎日の些細なことから親御さんのお子さんに対する思いが見えて来る所がこの仕事の良い所でもあります。
親子二人三脚のお手伝いをし、お子さんの成長を促すことが我々の仕事ではありますが、逆に学ばせていただいくことも多いです。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。また次回!